第二章 城北線が抱える多くの「謎」





前章では、城北線などの成り立ちについて紹介しました。

工事が凍結された貨物線が旅客線として復活した城北線ですが、
地図を見るだけでも、時刻表を見るだけでも、車両を見るだけでも、
そして、乗り通してみたり途中駅で降りても――誰もがあらゆる行動で異様さを感じ
あらゆる事に疑問を抱くはずです。

本章では、城北線の持つ「謎」をリストアップしていきます。


1.なぜローカル線なのか

大都会のローカル線、城北線

城北線の終点である枇杷島駅は、名古屋駅のすぐ次の駅、距離にしてもわずか4.0qと
名古屋の都心にたいへん接近しています。その後も、名古屋の中心部を遠ざかることなく
環状線の様な具合で勝川駅まで走っていきます。
このため、沿線は住宅密集地となっており、地域によってはマンションも結構な数が立っています。

また、大部分で東名阪自動車道と並走しており、途中の楠ジャンクションでは
城北線がジャンクションのど真ん中を貫いて走るという、他でも見られないくらい都会チックな光景に出会えます。

高速道路のJCTを潜る城北線

しかし、城北線には朝夕の通勤時間帯で1時間に2本、日中夜間は1時間に1本という
立地条件に全く相応しくない列車本数しか設定されていません。
そして使用されている車両は単行のディーゼルカー。城北線は大都心を走りながら、
地方のローカル線と全く変わりない姿で存在しているのです。

城北線の時刻表




2.なぜローカル線なのに全線高架、全線複線の高規格なのか

前述のとおり、城北線を走るのは単行のディーゼルカーです。
電化されていないからというのが理由ですが。不便でそれだけしか旅客が乗らないのもまた事実です。

実態に釣り合わない高規格

にも関わらず、城北線は当初の計画通り全線が複線で開通しています。
ローカル線として存在させるのであれば、単線でも全く構わない程度なのにです。

また、線路自体も非常に規格の高い材料が使用されています。
城北線の経営主体である東海交通事業のホームページによれば
枕木は全てPC枕木、レールは新幹線に使用されている、最大規格の60sのものになっているのです。




3.なぜ名古屋駅や勝川駅に乗り入れないのか

城北線は元々貨物線として建設されています。このため、枇杷島駅のホームは「稲沢線」という
名古屋貨物ターミナル駅に向かう貨物線上に存在します。
稲沢線上には、同じく貨物線を旅客線に転用したあおなみ線が2004年に開通しており
城北線枇杷島駅からそのまま南下すると、あおなみ線の名古屋駅ホームに到着するのです。

城北線の名古屋駅乗り入れも、電化すれば相互直通も可能なのですが、いずれも実施されていません。

あおなみ線名古屋駅ホーム

反対側に目を向けてみると、城北線の勝川駅は、JRの勝川駅から
数百メートル離れたところでぶちっと終わってしまっています。
過去には、JR勝川駅の高架工事の完成を待っているためと言われていました。
事実、JR勝川駅自体は城北線の乗り入れを前提とした構造になっているのですが
工事が完成した今でも、城北線はそのまま放置された状態となっています。

勝川市や国土交通省のホームページに掲載されている工事の完成図でも
やはり城北線が乗り入れた後の姿にはなっておらず、着工の目途も立たないままなのです。

勝川駅高架化工事完成図




4.なぜ貨物列車や特急列車を走らせないのか

勝川駅で接続し、電化をすれば城北線はJR線と相互直通運転が可能となります。
名古屋駅〜勝川駅の距離は、中央本線とさほど変わらないので短絡効果はありませんが
中央本線側は低速の通勤列車で混雑しているので、例えば特急列車の「しなの」を城北線経由にすれば
最高速度を上げることができ、結果として所要時間を短縮させることができます。

その他、中央本線には、主に四日市港から長野県まで石油を運ぶ貨物列車が頻繁に走行しています。
四日市から稲沢駅までをディーゼル機関車が石油を積んだタンク貨車を運び、
ここで電気機関車にバトンタッチし、進行方向を変えて長野まで向かうのです。

これは本来、城北線の開通により、四日市から長野までを方向転換せず
一本の列車として向かえるようになる筈でしたが、現在でも状況が変わる事は無く
不経済で時間も手間もかかる運行を強いられています。
貨物列車が城北線を使えるようになれば、機関車と所要時間、人件費等を大幅に削減することが
可能となります。また、通勤列車で特に混雑する稲沢駅〜勝川駅のルートを
スルーできるため、通勤列車や特急列車を支障したり、逆に支障されたりする事も緩和されます。




5.なぜ駅にエレベータやエスカレータ、駐車場駐輪場の設置をしないのか

城北線は全線が高架であり、途中駅のホームはビルで例えれば3〜4階の高さにあります。
これだけ高い位置にあれば、通常はエスカレータやエレベータが設置されているものですが
城北線の駅にはその類がほとんどありません。

階段の右側にはエスカレーターの設置スペースが

大半の駅は階段しか無く、高い位置にあるホームまでの厳しい上り下りを強要されます。
城北線が敬遠される原因にもなっていそうですが、バリアフリー化が実行に移される気配はありません。

そして、駐車場や駐輪場のスペースはわずかしかなく、高架下の通路は路駐された自転車が
ずらりと並んでいます。駅前広場も1駅を除き、満足に整備されていません。




6.なぜJR線でも第三セクター線でもないのか

国鉄末期、多くの赤字ローカル線や建設途中で工事がストップされた路線の未来は
国の手を離れ、地元の自治体の判断に委ねられました。
地元が存続や開通を望んだ路線は、自治体の出資する第三セクター鉄道として生まれ変わったのです。

城北線の前身である瀬戸線・岡多線の一部を構成する愛知環状鉄道も例外ではなく、
民営化後、一時的にJRに引き継がれましたが、すぐに第三セクター鉄道として独立しました。

一方で城北線は、第三セクターにはならず、かといってJR城北線にもなりませんでした。
代わりに東海交通事業という、JR東海の子会社の路線として運営されています。
このような形態をとったのは、城北線が唯一という大変珍しいものです。
なぜJR東海は、城北線を自社線でも三セク線でもなく、子会社の路線としたのでしょうか。




7.なぜ運輸政策審議会答申(第12号)に盛り込まれなかったのか

平成4年(1992年)に「名古屋圏におけ高速鉄道を中心とする交通網の整備について」と題し、
国の諮問機関である運輸政策審議会が名古屋の交通圏における鉄道整備の方針を定めたのが
運輸政策審議会答申(第12号)です。平成20年(2008年)を整備目標として、
A〜Cのランクで新規建設や複線化を実施する路線が定められました。

運輸政策審議会答申路線(1992年)

最優先目標であるAランクには、既に実現したあおなみ線、リニモ、地下鉄線の延伸、ガイドウェイバス。
名古屋市の財政難で凍結された幾つかの地下鉄線。そして、城北線の延伸がリストアップされていました。

しかし、この城北線の延伸は当時未完成だった枇杷島駅〜尾張星の宮駅間を指していました。
今でも接続の実現していない勝川駅への延伸は盛り込まれず、それどころか
既に開通した区間として扱われていました。

また、工事が凍結された地下鉄東部線が、地下鉄上飯田線やJR関西線、西名古屋港線(当時のあおなみ線)
との直通運転を行うとしていた一方で、城北線は電化や名古屋駅への乗り入れはおろか、
相互直通が可能な路線が複数あるにも関わらず、全く触れられていないのです。



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